来月からの再始動に向けて、やっとエンジン始動。
6月度マンスリーで課題となったのは、社会の偏差値 40いくつかもう忘れたが。
かといって、「勉強時間を増やしましょう」では、芸がない。
自分もそうだが、やる気を出すには強力な動機が必要だと考えている。つまり、「なぜ」私は勉強をするのかということだ。
下の 3 ステップで考える。
大事なことは、上から下に物事を考えることだと思う。
「なぜ」私は勉強をするのか。だ。
- なぜ?
- どうやって?
- 何をする?
下から上に物事を考えてはいけない。大事なことは上から下に考える。
なぜか?
次の2つの「勉強しなさい」。どう感じるだろう。
- 何をする:社会で偏差値60ほしいね。算数もやらなきゃね。復習は毎日。
- どうやって:サピックスに行こう。勉強しよう。
- なぜ:....
これに対して、
- なぜ:勉強は未来を変える力があるよ。パパとママは、xxちゃんに幸せにもなってほしい。
- どうやって:サピックスに行こう。一緒に頑張る仲間がいるよ。
- 何をする:苦手の社会と算数頑張ってみよう。
この考え方は、Simon Sinekさんという、アメリカの作家兼、モチベーションコンサルタント兼、マーケティングコンサルタントの大家だ。こちらを見ていただけると、私の言わんとしていることを1000万倍ほどわかりやすく説明してくれている。
https://www.ted.com/talks/simon_sinek_how_great_leaders_inspire_action?language=ja
さらにポイントは、小学校4年生の現段階で、これら、「なぜ, どうやって, なにを」の主体は、子供ではなく、親であることだ。
確かに、うちの子には「なぜ」は意識させてはいる。現在うちの子が設定している「なぜ」は
「早くお医者さんになって、おじいちゃんとおばあちゃんが病気になったらなおす」
だそうだ。多分に私と妻の刷り込みがあったことは想像に難くない。
しかし、本当の「なぜ」は、親側にある。つまり私だ。
親としての「なぜ」は、ひとえに、「幸せになってほしい」に尽きる。
では、幸せになるための社会の勉強 として、「どうやって」はどうすればよいのか。勉強量を増やす=幸せの手段 となりうるのか。なんか違う気がする。身に着けてほしいのは、「幸せになる手段」としての「どうやって」だ。ここで、うちの子の答案をよく見てみる。過去の分もである。
ここで気づいたのは、成果がでるものは、習慣化できている。一時的な対策はポシャっている。
明確な傾向は見えずらいが、全体的な傾向としてはそのように見える。
振り返ると、自分自身もそうだ。すると、分析すべきはテストの内容でなく、そもそもの生活ではなかろうか。それこそ、親の出番ではないか。充実した規則正しい生活。生活の一部として、勉強をし続けることこそ、親として伝えたい「How=幸せになる手段」な気がしてきた。多分。
改めて、「幸せになる手段」として、「充実した規則正しい生活」は、感覚的にマッチしている。すると、社会の勉強に限らず、試験の成績に一喜一憂する必要のない、生活と勉強が溶け合っているような計画をたてればよいのではないか?ライフ・スタディーハーモニー(造語)だ。歯を磨くように勉強を当たり前のリズムにして、これを基本変えない。もしくは、生活と勉強を分けない。
つまり、「勉強しなさ―い」のない生活だ。そこに社会を溶け込ませる。生活の一部として。
とりあえず、社会を日常ライフのどこにハーモニーさせましょうか、、
まずは、パパが興味持って旅行雑誌気分でテキスト読んで、娘と各地域に旅行したらどうなるかなあとか会話してみようかな、、反抗期が来るまでしかできないけど。